更新しなさすぎなのでポニョの感想でも書いておくか

いやはや。



映画終わって開口一番「パンダコパンダじゃねーか!」と
口走ってしまいました。
2番目の。洪水とサーカスが来ちゃう奴。



まあそれはいいんですが、全体的な評価をするとすれば
「唐突」
これに尽きる。
説明という言葉から一番遠い映画だったじゃないかな(越後)。



意味わかんない、説明すっとばしが一杯あって
フジモトは自宅の金庫に何を溜めてたの?とか
折り紙って結局なんだったんだよ、とか
まあそういうモヤモヤが詰まった映画で。
まあ、絵本みたいだよねって、言ってたんですが。



そのあと食事しながら
フジモトが井戸に溜めてたあの液体は多分酒なんじゃね…?
ポニョが瓶の中に詰まっているのはタマゴの殻の表現で…
殻を割って最初に見たのが宗介でインプリンティングされて…
だからポニョは宗介が好きになって…
とか説明の足りない部分を自分の頭が勝手に補っていく。



話は飛びますが、コドモって大人があの映画を見てるように
世界を見ているんじゃないだろうか。


コドモは自分が居るこの世界について一々説明はされていない。
http://d.hatena.ne.jp/spongey/20080828
↑の人のように
キャンディーズが舞台の下にもぐっていく。
コドモはその映像を見てそのままそこで暮らしていくと推測する。
そしてコドモはその推測を大人に確認する。合ってる?って。
(この場合は不幸にも質問の意図が相手に伝わらず
間違った理解がしばらく続いた様ですが( ̄ー ̄))
大人になると一々確認なんかしなくなる。



コドモにとって自分が居るこの世界はモヤモヤの塊なんだろう。
コドモは毎日モヤモヤを観察して推測して答え合わせをして
合ってた、とか、間違ってた、とかしている。何年もかけて。



大人になると自分が居るこの世界に対して
そんな態度はとらなくなる。
でも。
フィクションに対してはとり続けていくみたいだ。


http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20080727/1217148806
このエントリのブクマコメにも書いたけど
バラバラのお話の断片をつなぎ合わせていく作業は
同人のそれに似ている。様に見える。
(別にid:otokinokiが同人オタクって言いたいわけじゃないですよ)
同人の原初的な動機は原作に描かれていないものを補完していくような
余分な部分だと判断されてカットされてしまった場面を
救い上げていくような、そんなものだと自分は思っている。
説明や演出の都合で過剰だったり余計だったりするものは
原作では要らないものとされてお蔵入りにされてしまう。
でも、そのワールド*1に魅せられてしまった人たちは
原作に描かれたものだけでは飽き足らず自分達の手で
原作世界を広げよう、深めようとする。
その場所に自分の大好きなキャラクターの人生、果ては
自分自身を置く場所まで原作世界を拡張しようとする。
(いわゆるドリー夢ってやつか)
野田 昌宏がスターウォーズの世界に行きたくて生きたくて
あの宇宙で自分も一緒に冒険をしたい、生活したいと熱望して
枕を涙で濡らした様に。



あの映画を「童話だから。絵本だから。」で終わらせてしまう人は
そういう同人的な熱量というか動機が薄い人なんだなー
と、思った。


説明なんてYOU自分で作っちゃいなよ!ってことかい?